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平成24年行サ)第53号 国籍確認等上告事件
上告人 [上告人の項以下省略]
被上告人 国

上告理由書

2012年6月7日

最高裁判所  御中
(取扱 東京高等裁判所第5民事部)

上告人訴訟代理人 張 學鍊

憲法解釈の誤り

1 憲法10条違反の点

本件国籍剥奪が、サ条約によるものか通達による(事実上の)ものであるのかという論点については別途上告受理申立において主張するが、仮に原裁判所及び昭和36年最高裁判例の採用する、国籍剥奪処分がサ条約の効力によるものであるという立場に立っても、次のような憲法10条との抵触問題が生じる。

すなわち、根拠とされるサ条約2条(a)項は、条約上の章立てからして本来領土に関する規定でしかなく、国籍について明文で全く触れるところはない。したがって、国籍変動に関する基準を文面から読み込むことは一切できないし、条約の成立過程における議論でもそのような議論は全くなかったのも事実である。

一方、領土の変更に伴う国籍の変動については国際法上確立した原則がないという原判決あるいは最高裁の認識を前提とすると、サ条約2条(a)項は、国籍変更について執行担当者に白紙委任したものと結論せざるを得ない(そもそも、昭和36年最高裁判例のような立場を取るからこそこのようにばかばかしい論理となるのであるが)。

そうであるとすると、かような白紙委任は、憲法10条をおいた趣旨を没却するものでしかなく、なお憲法10条に違反するものといわざるを得ない。

すなわち、憲法10条が人権規定としておかれた趣旨は、形式的にあるいは黙示に法律あるいは条約で国籍について触れていれば事足りるというものではなく、法律または条約に国籍の付与・変更・喪失等の法律要件について恣意的な解釈の余地がないほどに規定されることを要求しているものと解すべきであり、そうであってこそ同条が人権保障に資する規定となるのである。

したがって変動に関する法律要件のごとき重要な事項について執行機関に白紙委任するような規定は、当然に憲法10条違反を構成し、原則としては無効な規定と評価せざるを得ない。

この場合、昭和36年最高裁判例のように、条約の「解釈」によって内容を確定するということも、法理論上一般的に可能でないとは言えないが、ここまで何らの基準も読み込めない規定は、そもそも解釈の成立する余地がなく、実質的にもこの規定を合憲として生かす必要は全くないし、そのような解釈態度を許容するとすれば、司法万能主義に陥ること必定であり、法律による行政という建前自体の否定にならざるを得ない。

したがって、旧来の最高裁ないし原判決の立場に立てば、上告人の日本国籍剥奪根拠がなくなることとなり、原判決は破棄されなければならないという結論となる。

2 憲法13条違反の点

原判決は、上告人側の憲法13条違反の主張ついて[主張について]、同条が、本人の同意なく恣意的に国籍を奪われない権利を認めたものとの前提に立ち、領土の変更に伴う国籍の変更については、憲法が13条を含めた全体として条約で定めることを認めた趣旨であるとしたうえで、端的に要約すると条約で定めた以上恣意的とは言えないと結論している。

しかしながら、憲法13条が人権規定としておかれている趣旨に鑑みれば、法形式として法律あるいは条約で規定してさえいれば同条に反することはないという上記の立論は、人権保障としての重要性を看過したものであるといわざるを得ず、到底憲法論として成立する余地はない。

加えて、原判決が国籍保有者の「同意なく」という部分を上告人側の主張の一部に取り込んで整理しておきながら、(恣意的であるかどうかだけを検討し)同意の有無がどの様な意味を持つのかについて全く触れなかったのは、法律家の書いた文章としておよそ理解しがたい。

果たして原判決は、同意がないことと国籍剥奪の恣意性という2つの要素について、どの様な関係にあると理解したのであろうか。同意なくして国籍を剥奪することこそがむしろ恣意的という評価を受ける典型ではないだろうか?

憲法13条が個人の国籍保有の利益を個人の主観的権利として保障したものであると解するならば、憲法22条2項が国籍離脱の自由を保障していることとの兼ね合いも考え合わせると、憲法13条は、一旦取得した国籍については、(他の国籍を取得したとか、不正に日本国籍を取得したなどの特段の場合を除き)原則として当該保有者の意思によらずに剥奪する(喪失させる)ことを許さないものであると解されるべきである。

そうだとすると、サ条約の規定は、一方的に上告人の国籍を同意なく剥奪したものであって、この観点からだけでも恣意的と評価せざるを得ず、しかもその際後述するような憲法14条に違反する要素を包含しているばかりでなく、日本にいる朝鮮人らを無国籍とまでしてしまったのであるから、この処分は個人の意思と利益を完全に無視したものであって、まさしく恣意的といわざるを得ない。

なお、原判決(あるいは最高裁判例)は、国籍剥奪処分を対人主権の放棄という言葉によって説明し、あたかも権利の放棄であるから国家が単独でなし得るかのような印象を与えているが、そもそも主権の放棄という概念は憲法上にはなく、その内包は[内容は]一義的に明らかでないことをさておくとしても、上記のように憲法13条が個人の権利として国籍保有の利益を保障している以上、対人主権の放棄という観点のみでとらえることは明らかに憲法解釈として成り立たないものというべきである。

よって、日本国籍保有者から日本国籍をその同意なく剥奪したことに変わりはないから、サ条約2条(a)項の国籍変動に関する部分は憲法13条に違反し無効といわざるを得ない。

3 憲法14条違反の点

原判決は、上告人側の原審での主張を、本人または親の出身地、帰属に注目し、朝鮮出身者あるいは朝鮮民族に特別な不利益を与えるものであって、憲法14条に反すると整理しつつ、結論の部分で、「平和条約の発効により、その日本の国籍が失われることになったとしても、平和条約の定めるところであり、平和条約2条(a)項について、上記の法的地位にあった人全てを同様に取り扱うものであって、合理性を欠くものともいえず、憲法14条もこれを認めている」と判示しているが、これは、明らかに誤った論理である。

また、朝鮮戸籍に登載されるべき地位にあった人に対してのみ国籍を剥奪する処分をすることについては、それがなぜ憲法14条との関係で合理的であると言えるのかについては全く説明されておらず、単に領土の変更に伴う国籍変更について憲法14条は許容しているとしか述べていないのである。

憲法典が全体として領土の変更について明文を欠くとしても、領土の変更自体を許容し、その際に国籍が変動することを否定するものでないことについては、上告人代理人としても異論を差し挟むものではないが、だからといって領土の変更に伴う国籍変動をいかように規定しても憲法14条に反することにはならないというのは、誰にでも分かる論理であって、この程度の論理の筋道を追えないのでは、裁判官として失格であるといわれても返す言葉がないであろう。

要するに、原審裁判官らは、昭和36年最高裁判例があるためそこで思考停止してしまい、最高裁判例で全く論及されなかった憲法上の論点についていい加減かつでたらめな処理をしてしまったと見ざるをえない。

すなわち、原審において上告人側は、日本国籍者のうち朝鮮戸籍に登載された人=朝鮮に属すべき人(すなわち国籍剥奪の対象とされた人)とその他の日本国籍者との間の差別(の合理性)を問題にしているのにもかかわらず、原審判決は朝鮮に属すべき人の中での平等な取り扱いについて述べているのであって、中学生レベルでもこの論理が誤っていることは容易に見抜けるであろう。

原判決は、朝鮮戸籍への登載に注目して国籍を剥奪した行為は、朝鮮の独立を承認して、朝鮮に属すべき領土に対する主権を放棄すると同時に朝鮮に属すべき人に対する主権を放棄したためであって、朝鮮に属すべき人とは、日本の国内法上で朝鮮人としての法的地位を持っていた人、すなわち、戸籍のみならず適用される法律も異にしていた、朝鮮戸籍例の[朝鮮戸籍令の]適用を受け、朝鮮戸籍に登載されるべき地位にあった人であるとしている。

しかしながら、上告人側が主張しているのは、このような形式的な措置こそが問題であり、上告人のような日本において日本国籍者として生まれ(当時の)朝鮮に住んだことも行ったこともなく、言葉もできない者に対して、朝鮮戸籍に登載すべきものであった、すなわち端的にいって親が朝鮮出身者であるからという点に着目してで[着目して]日本国籍を剥奪し無国籍にまでするという処分が、果たして合理的な差別なのかということである。

原判決ないしは最高裁判例は、朝鮮に属すべき人というカテゴリーを所与のものとしてとらえ、朝鮮が独立するということイコール朝鮮に属すべき人が朝鮮の国籍を保有し、同時に日本国籍を喪失するという極めて単純かつおめでたい論理を採用しているわけであるが、日本による朝鮮半島の植民地支配は約35年間、サ条約の発効までを入れると42年あったのであり、その間に人が領域内で移動し、あるときは相互に通婚し、生活を紡ぎ、さらに代を重ねるという状況が進行しているのであって、そうした積み重ねの実情を無視して、朝鮮戸籍に登載される人はとにかく朝鮮人であり、日本国籍がなくなったのだというのは、こうした実情を無視したものといわざるを得ず、合理性ないし妥当性を欠くと同時に、他の日本国籍者との間に正当化できない差別を生じさせることとなるのである。

実際、昭和36年判例の事案こそが、そうした事例であり、血統的には純日本系の女性が朝鮮戸籍搭載者と婚姻したために、当時の共通法により朝鮮戸籍に登載され、これが根拠となって日本国籍が剥奪されて無国籍となったものであるが、最高裁がこれを憲法10条に反しないとして合憲だとしたのである。

逆にいえば、血統的に純日本系の男性と婚姻した朝鮮戸籍登載女性については、この朝鮮戸籍登載基準によりサ条約発行後も日本国籍が維持されたわけであるし、養子縁組されて戸籍が移動された場合にも、戸籍への登載が絶対的基準となり、たまさか朝鮮戸籍に登載される身分事象があった場合に、サ条約発効時に朝鮮に属すべき人というレッテルが貼られ、日本国籍が剥奪されてきたし、血統的に朝鮮人であっても、内地戸籍に登載されていた者については、日本国籍が温存されたのである。このような処理が合理的に説明可能であろうか?

戸籍は、基本的に憲法24条によって決別したいわゆる家制度の思想によって編製されているものであり、これに基づいて誰が朝鮮に属すべきものであるかを決するということは、とりもなおさず家制度を肯定することにほかならず、実際上記の結果は、血統とも異なる基準で朝鮮に属すべき人とそれ以外の人を分ける結果となっており、そもそも合理性に強い疑いを持たざるを得ないものである。

最高裁の裁判官をしている諸兄にあって、このような倒錯した処置を、なお合理的なものであり、憲法14条に反しないとこの期に及んで言い張るのであろうか?上告人代理人としては真摯に最高裁判所裁判官の良心と良識に照らしてきちんと誰にでも理解可能なように説明をしてもらいたいと強く訴えるものである。

なお、詳細な主張のため追って補充書面を提出する予定である。

以上


原典について


Copyright(C) 2012-2013 日本国籍のなしくずし剥奪を許さない会
公開日:2012年8月19日、最終更新日:2013年1月4日
http://kokuseki.info/shomen/3shin/kim/2012-06-07jokoku-riyusho.html  このページへのwebリンクはご自由にどうぞ.